辰田さんのこと。
昨日の朝
札幌協働福祉会副理事長の辰田さんが亡くなりました。
札幌協働福祉会が福島第一原発事故後すぐに、山の家きょうどうを保養や母子避難のために開放されたり、避難者の方たちを法人の職員として受け入れをすぐに始めたのは、現理事長の宮野さんと
亡くなった辰田さんのおかげです。
今もこうして、私が職員でいながら保養のために動けるのもお二人がいたからです。
辰田さんとはなぜか議論をよくしました。
泊原発が稼働されるとき、北海道知事室に座り込んだとか、いろんな話しを聞きました。
「安齋さんのは手ぬるい、もっとこうしなきゃ!」
そのレクチャーに共感したり激しく抵抗したり、時に笑いながら泣きながら。
翌朝になると前日の議論を引きずってツンとしているのはいつも私で
辰田さんはいつもケロっと「あーどうもどうも。昨日はいい話しができましたねー」とにこにこしている。
議論ってこうなんだな、ってことを身をもって教えてくれた人でもあります。
「弱者」という立場の人に
向き合い、話しをとことん聞いて、共に考え解決策を見出すのが
辰田さんの専門でした。
絶対に放っておかない。
私など、あとは自分で考えろ!と突き放すのだけれども
いつまでも何時でも「助けてください」の声を受け入れる。
辰田さんに救われた人はたくさんいると思います。
私もその1人です。
突然死んじゃったなぁ。
「保養をどんどんやってください。」
1番最後に会ったときに言われた言葉。
「あ、はい、、、」と低めに返事したこと
今は少し後悔しているけど
空に向かって大きな声で笑顔で言います。
「はい!了解です☆」
ありがとうございました。