大川小学校と門脇小学校
こんばんは
今は南三陸町にいます。
今日は朝から夕方まで3.11メモリアルネットワークから申し込んだ2つのツアー
大川伝承の会「震災遺構大川小学校」と「南浜・門脇ツアー」に参加しました。

74名の児童と10名の教師が亡くなった大川小学校
着いてすぐに驚いたのが
大川小学校と「逃げたら助かっていた」はずの山が、こんなに近い位置関係だったということ。
衝撃でした。
「知らなかった」ことばかりでした。
でも「知らなければならないこと」でした。
すみません。
あまりにもたくさん書きたいこと、お知らせしたいことがあって
今は書ききれません。
太子と、とにかく帰って記憶が新しいうちにパワーポイント資料を作ろうと話しました。

まずは「大川伝承の会」の語り部として案内して下さった、三條さんに心から感謝です。
三條さんは、当時高校3年生、高校を卒業し、4月からは就職も決まっていた息子さんを亡くしています。
60分の案内とのことでしたが、結局2時間半もお話を聴かせてもらいました。
三條さんが立っている場所は、もちろん震災以前からあった「逃げていれば」助かることのできた山。
津波が到達した場所よりも上にあるコンクリートでできた広場のような場所です。
大川小学校からこの場所まで歩いて2、3分。走れば1分もかからない場所。

地震発生の14:46から約50分後、大川小学校を津波が襲ったのは15:37です。
50分あったのです。
1分で行けるあの場所へ逃げていれば84名全員が助かったのです。
遺族の方たちは、今も、石巻市と裁判で争っています。
この文章にもあるように
「遺族は3度被害に遭った」(齋藤弁護士)。最愛のわが子を失い、その後の石巻市や市教委の事後的な対応で心に大きな傷を負い、そして、他人から理由もなく、心ない誹謗中傷に苦しめられた。
このような状況にありながら、遺族は、本件訴訟が最高裁で確定し、控訴審判決の示した学校安全のあり方についての判断が、学校防災の「礎」となるよう日々活動と努力を続けていくという。」
この大川小学校の10年間にわたる裁判のドキュメンタリー映画
が、全国各地で上映されています。
北海道でも5月27日に上映されるようです。
それについてもまた改めて発信します。
まずは今日、見聞きしたことをもう一度考えて今日は寝ます。
あ、今日は素晴らしい温泉旅館に泊まっているのですが
この温泉にしたのも、毎日「語り部バス」というバスがホテル発で運行しているからです。

太子くんは、さすがに疲れたのか、明日は少しゆっくりします。おやすみなさい、と言って部屋に戻りました。
彼も被災者ですからね、、、、
いろいろ思い出すこともあると思います。
けれども、今日まで「知らなかったこと」がたくさんあり、憤りながら話を聴いていました。
帰ってからゆっくり話してフィードバックです。
私も、もう一度温泉に入って、今日は寝ます!
おやすみなさい。